∞sho*jyo Kuro:Kami
ー永遠少女 黒髪ー
浴槽さかな の”王国”
ようこそ、”さかな王国” へ
カンボジアをメインに東南アジアで活動したり、日本全国旅を旅しながら、日本の素晴らしさを自分らしく発信してゆくサカナニズム活動をしています。
総称として さかな旅 と名付けました。興味があればご覧ください。
主に、写真作品を主体とした活動、
声と言葉と存在で何かを産み出す、そんなアーティストでありたい。
PROFILE
浴槽さかなとは?
2011年7月からベトナム、ホーチミンでのメイドカフェ立ち上げプロジェクトをきっかけに、
海外を拠点に活動を始める。
ベトナム、ホーチミン、ハノイでの3年の活動を経て、現在は世界遺産、アンコールワットのある街、
カンボジアの”シェムリアップ”にて、”みんなのアイドルさかなちゃん”というキャッチコピーで活動中。
フリーランスのアーティスト。浴槽さかな
このページでは、浴槽魚 ”Yokusougyo” として活動を始めたきっかけを追う。
浴槽魚の歴史
2010年、12月。
浴槽魚として、初めてのポートフォリオ、写真作品集をつくる。
当時、自分の価値に確信が持てず、憂鬱を抱いていた、そんな世界観を表現する為、自らをモデルとする決意をかためる。
同年、2010年12月、3部作に分けられた作品を発表する。
それぞれ、 ”憂鬱な少女” ”12月29日” ”午前3時” というタイトルでシンプルに作られた作品の中に
当時の鬱々とした感情と、少女の葛藤から生まれる儚さと妖艶さを表現した。
この頃から、アニメ×音楽、アニソンクラブカルチャーに浸透し始め、アニクラ界隈の知人が増え始める。
もともとロックバンド好きがこうじて、ライブ通いをしていたが、鬱々としていた当時は、
常に非日常と日常の狭間で個人に確信が持てずただ、キラキラした世界の中で、揺れていた。
形のない空気に依存していたのだ。
そんな中でも、アニソンクラブカルチャーは ”音楽×ファッションと精神” のより強い結びつきに気づかせてくれた。
音楽、映像、ダンス、コスプレ、人と空間、ここから溢れる面白さは、無限の可能性と表現の自由度の高さを教えてくれた
そこから、秋葉原MOGRA と 川崎 月明かり夢てらす を中心にクラブ通いが始まる。
2011年7月28日、メイドカフェの立ち上げプロジェクトをきっかけに、ベトナム、ホーチミンへ移住。
もともとファッションデザインの専門学校を卒業しアパレル業界で働いていたこともあり、自分のデザインしたファッションを発信し、自分の店舗を持つことに強い憧れがあった。初めての土地での挑戦ではあったが、さまざまな方々のちからを借り、店舗デザイン、スタッフ教育、マニュアル制作、衣装製作、メニュー改善やキッチン業務までトータルでプロデュースさせて頂くことが出来た。9月1日に無事オープンし、3か月間の店長を勤めさせて頂いた。
オタクカルチャーとアニメ、ファッションと音楽を通じて、異文化交流することで、得るものは大きかった。
数々の波乱もあったが、とても良い経験をさせて頂けて感謝している。
2012年、初めてのセルフプロデュースと、完全なオリジナル衣装の制作と発信をする機会を与えていただく。
セルフプロデュースしていく、という面白さに、改めて気づく。
人生初、ウィッグを被ってのコスプレを体験し、もう一人の自分に出会う感覚を得る。
更に、ここで未熟すぎる人生経験を補い、豊かに成長しながら、より有意義にするための生き方を学ぶ。
2013年頃から、セーラー服好きがこうじて、セーラー服オンリーのオリジナルコスプレを開始。
アニメイベントに参加し始める。テーマは常に、セーラー服と絶対領域。 スタイルにセーラースク水を含む。
同年、2013年、エロ規制の厳しい中、ベトナムホーチミンのボディアートショーに出演。
ベトナム初のストリップを含む、ボディアートペイントショーをアートショーとして成功させる。
1、モデルとしての出演ではあったが、ここで、演技するという楽しさ、魅せる という楽しさに気づく。
オリジナルブランドの開設をする。
ここで、” ∞sho*jyo Kuro:Kami ” ー永遠少女 黒髪ー が誕生する。
さかなちゃんを応援お願いします!!
フリーランスのアーティストとしてのアートと文化交流に重点をおいた活動から、
現在は、フリータレント声優とし、演者としても活動している。
詳しくは⇛ LisPon へ !
存在と声と言葉と、すべてで何かを残したい。
自分が楽しく生きること。
誰かをハッピーにすること。
ずっとそれが連鎖していけばいいな… !
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